NARRATOR ROAD


音声表現…

2011/02/27

語りとは、文字を音声にするのではなく、
意味内容を音声にすると言うナレーションの音声表現技術。
ところが、意味内容を深く思慮せず巧く読もうとばかりに気持ちを込め、
読もうとする人がいるが、気持ちだけで評価には値しない。

ナレーションは、音楽同様に、
出だしとおしまいに全ての鍵が隠されている。
出だしの語りで期待感を持たせる。
そして、段落のまとめで記憶に留めるのです。
その理論を理解出来ている人は、そう多くはいません。

面談を兼ねて、体験する人の言葉を借りると、こうです。
ここまで、細かく指導してくれる所はなかった。
指導された通り、読んでみたら息苦しくなく楽に読めた。
呼吸法、発声法の部分まで細部に渡る教えと指導は受けなかった。
などなど、沢山の言葉が寄せられる実情でございます。

本来あるべき、音声表現技術を確立する為に、
最も、重要な不可欠要素があることに気付いていますか。

コメントに対するイメージ、
そのコメント、メッセージをどう音声表現するのか、
映像、音楽、効果音との関連性をどのように考えるのか。
緊張感やリラックス感、
重厚感で書かれた原稿(訴求効果)を音声で表すのです。

その為には、
練習量だけではなく、それに向けての気が遠くなるほどの
時間と情熱のキープの必要性も問われます。
確実に、身につけるには自主練習の精度を上げなければいけません。
そして、自身の可能性を見出すことを優先に考えてください。

自主練習と言うものは、
周りの人の声に左右されず、一人静かに黙々と、
繰り返し繰り返し行う道以外にはないのです。

17

ナレーション = 音声表現
自身の感覚、感性は勿論大事ですが、
その部分に執着することなく、頼らず、溺れず、
呼吸法、発声法に注視し努力を惜しまず日々精進。
撮影地
京都東山 東福寺頭塔 霊雲院


表と裏…

2011/02/21

普段、
私たちが何気に話している日本語。

個人的な考えと見解ですが、
日本語の漢字表現には、「表と裏」がありと思われる。

Workshop OPALの教えの一つに、
漢字を表現する際、細心の注意を払うべき点、
まずは、漢字をひらがなに置き換えてみなさい、
と、指導することにより文字列の構造と構成が明瞭となります。
特に長音の場合、「ー、または、う」の発音なのかを見極めれば、
美しい日本語、正しい日本語の発音で音声表現になります。

一例として、
「一方」と言う読みは、「イッポー」 ---> 「いっぽう」
目に留めた方は、当然とばかり後表記を指すことでしょうが、
実際、読ませてみると意外にも、実のところは前記のように、
「う」が明確な音になっておらず、「-」の音で読む人が多くいるのです。

そんな馬鹿な~と、思うでしょうが、
是非一度、読んで確認してみてください。
「う」が消えずに、きちんと発音出来ていますか。

このように、漢字を「表」から見ると、
日頃の慣習から判断しがちですが、少し角度を変えて見る、
漢字をひらがなに置き換えてみると言う「裏」の発想と見方をするだけで、
ナレーション表現、そのものが色濃く変化するのです。

従って、ナレーションは番組を「生かしもし、殺しもする」・・・
と言う、云われは、こんな要素の影響が少なくないのかもしれません。

16

これから、生業に就きたいと夢見る人。
ナレーターとして第一線で活躍したいと願っている人ほど、
慣れ親しんでいる、漢字が、どのような構成となっているのかを見極め、
日頃の発音練習に配慮を欠かさないことが肝要である。

次に、アクセントにも問題意識を置き、、
その言葉の意味通りに表現することを目指しましょう。

撮影地
京都 大徳寺塔頭 龍源院


力…

2011/02/19

語る力、
演じる力、そして、聴く力。

聴く力とは、
聴きわけられる耳が必要だということです。

ナレーターを目指す人の多くに顕著に見られる傾向として、
語る力の表現が巧ければ、演じる力の演技が巧ければと言う、
安易な考えと気持ちを軸に、表面的で一元的な見方だけで囲い、
表現のみをプライオリティの第一に挙げる人がいます。

そのものの見方に、
大きな落とし穴があることに気付かない人。

応募者の中に、こんな人がいます。
気持ちだけは誰にも負けませんと言い放つ人、
実は、その段階ですでに負けているのです。
つまり、自身が目指す世界はどれだけ奥深いものなのか、
情報収集、探求が浅いままに身を投じ結果的に、
トータルで物事を観察出来ぬ為、苦悩の連続となるのです。

トータルとは、
ナレーションに関する理論、技術、身体に至るまでを意味し、
人間の身体は楽器であり、鍛えれば声に圧が加わり音色も変わり、
パンチと迫力ある声となり、ナレーションに奥深さが増すのです。

ナレーションの表現と聴く力は比例します。
すべて同時進行であり、どれが欠けても成立はしません。
例えば、呼吸と発声に連動する自分の発音はどうなのか。
確実に把握出来ているのか、クリアーに聞こえているのか。
舌は適正な位置にあって発音出来ているのか・・・

消えがちな「い、う」はきちんと発音されているか。
響かせなければならない「ん」は響いているか。

どう改善すれば、正確な発音になるのか。
出だしの音が、どの位置だったのか確実に記憶され、
その発した文言が、二度目のリードは別の位置から出せるのか。
そして、繰り返し読んでも同じ位置から出せるのかなどと・・・
と言った、聴く耳、聴きわけられる耳、聴く力あってこそ,
表現技術は研ぎ澄まされて進化していくのです。

15

テレビを視聴する際、同じことが言えます。
番組ナレーションを的確にミラーリング出来るための、
耳を持ち合わせているか、と言うことです。
つまり、この場面においても聴く力、聴きわけれる耳、
そのものが必要となり、持ち合わせてなければ真似すら出来ない。

いかがでしょう。
このような見方、捉え方をすると、
自分に足りているもの何か、足りないものは何か、
自ずと感じ、見えてくるように思います。

まずは、心も耳も感性も身体も鍛えることから始めてください。
撮影地 新宿御苑

Copyright 2012 CUVE All Rights Reserved.