NARRATOR ROAD


続.本流…

2011/09/23

人生とは、人が生きると書きます。
この世に生を授かった、その瞬間、何らかの使命と、
それぞれに、目的と目標が課せられていることに気付いてますか。

人が生きて行く道には、必ずと言ってよいほど目的と目標があるのです。

強い、信念に宿していると願ってやまない、
目的と目標を抱き応募してきたと思われる、女性4名のレッスン生たちが、
今現在、月6回に渡り、一部の先輩ナレーターと同席し肩を並べながら、
ボイストレーニングを始めとし、理論、技術、コミニュケーション力、
そして、人間力に至るまでの幅広いカテゴリーを習得し学んでいる。

秘めたる想いと夢はと言うと、
近未来、マスメディア界で幅広い活躍を遂げたい・・・
そのようなことを切望しているのであろうと察している。

だが、時折、ちょっと矛盾を感じる面が発覚するのだ。

現代の若者の顕著な例に挙げられる、
希薄さ、どうにかなるであろう的の体たらくさ・・・

この意と同様に、レッスン生の中からも垣間見えてくる矛盾点。
先に記述したように、ナレーターを目指すには理由があって、
そして、目的、目標がきちんと定まっているからこそ学びを求める。
そう考えるのが自然であり、当然とも言える。

主だった、矛盾点はと言うと、
・分かっていないのに、理解したように装う。
・分かっていないのに、質問の数が著しく乏しい。
・完全な形を理解しようとせず、表面的だけを理解しようとする。
・目的、目標に対し、取り組み方が正比例していない。
・目的と目標の貫徹は、遠い道のりであると言う教えを弁えず、
ショートカットで、どうにかなるであろう的、発想の姿勢。

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時に、こう思う者もいるらしい・・・
本当の自分てなんだろう。
本当に自分は何をしたいのだろう。

迷い、悩みを感じたら、こう意志を働かせると善い。
「研ぎ澄まされた強い精神の心」
「清らかで曇りのない健全な心」
二つの意味することを紐解き、矛盾を消し去る姿勢で臨めば、
強い精神も健全な心も宿すことが現実となり、苦しみからも解放されて、
気付かなかった自分、見えなかった自分から発露されるナレーションは、
聴かせるナレーションから、感じさせるナレーションへと形を変えるのです。

そして、その先の道の向こうにある、極意も見えてきます。
「心が技を高める」
「技が心を求める」
撮影地、
埼玉県新座市 平林寺


本流…

2011/09/15

正攻法で進むか、
姑息な手を使うか・・・

唐突に意味深と思うかもしれないが、
事実、時に発生するノン・フィクションの一コマです。

テレビやメディアに影響を受け、
人それぞれに、幼くして憧れを抱いたり、
若くして、自我に目覚め表現者の道を選んだ者など様々な応募者たち。

表現を生業として、自立、自活を願う人、
夢を追い求めて、自身の納得する人生を歩みたいと願う人。
反面、表現、ナレーションを学ぶ上で、何が大事なことなのか、
何が足りていて、何が欠けているのか、注視すべき点は、どこなのか、
その根幹、骨子が見えず解出来てない人も多く存在する。

そうです。
学びの本流が見えてなく、分かっていないのです。

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あるレッスン生の一人が、こんなことを言ってました。
数多く読み方の練習をさえすれば、いつの日か、必ず上達する。
と思い込み、何の意味も論拠もない考えを拠り所にしていたと言うのだ。
下手な鉄砲も数打てば当たると言う、下世話で的を得ない発想です。
実に、アイデアに乏しく何の戦略も持たず、教えに相反していた面があった。

それも、今では、ある機会から学びと練習法のスタイルを見出すに至り、
自身の骨子が見えてきたと言ってはいるが、容易に事が進むか、どうか・・・

努力に即効性はないから、
一日一歩と同様の考え方で、短文原稿を元に、
完全なる一音一拍、一日一読と決め読破する姿勢が好ましく思う。

人に夢や感動を与えるクリエイティブな仕事の領域には、
平坦で楽な道もなく、あるのは苦悩の日々の連続だけです。
今一度、自らを戒め、犠牲と覚悟を再認識するべきなのです。

潮が満ちる。
機が熟す、と言われるように、
何事にも辛抱を重ね、好きなことをやり続けていれば、
きっと、良いことがあると・・・
と、昔から、こう言われ続けているのは、精進していく上において、
本流とは何か、見極めよと言う、暗示と言えるのかもしれません。
撮影地。
神奈川県湯河原市、万葉公園。


問答法…

2011/09/07

Workshop OPALでは、レッスン開始時。
ナレーション表現化心得を斉唱しています。
・語りとは、語るとは、
レーションとは何か、誰に伝え誰に聴かせるのか、
を、始めとする表現化心得は13ケ条で構成されている。

その意図は、
ナレーター(語り手)は、どうあるべきか。
レーターを目指す人は、何を優先に学ぶべきか。
ナレーションは、どのようにして生まれ出るのか。
感覚、感性の表現であると言う人が、多々、いると思われるが、
単に、感覚や感性だけでは成立されることはないのです。
語りとは、音声表現知識、技術、理論、哲学までのトータル的な、
原理原則を掌握出来なければ、活路は見出されません。

源は、聴かせることを超越し、いかに、感じさせるかと言う、
意識現象から脱却した、世界観を構築する目的を機軸としています。

ところが、
この心得に基づき、他の養成機関とは異なる、
育成スタイルは基本、基礎をベースに各自の将来像までを見据え、
コーチングしているが、答えありきを求める姿が目立つ傾向が強い。

それは、ふとした場面で発生します。
レッスン中、何か、質問はあるかと、問う、
出された質問に返答し表情を見るが、理解されているのか、
疑わしく思えたり、あるいは、何故、思慮深く考察しないのか、
と、とても、不思議に思えてくる場面に直面する。

今の若い世代は質問を広める、深めると言う、
衝動と行為に至らないのかと不思議でならない。

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質問には、二つの意味が存在する。
一つは、質問とは広めるものであり、
もう一つは、深めていくためにあると指導している。
つまり、禅の世界で言うところの問答法または対話法である。

広めて深めると言う指導は、
学びの場において、質問を投げかけあい個人個人の問題点の方策を
解き明かしていく為に、用いている。
常に、自身と向き合い、学ぶべき姿、スタイル、練習法に疑念を抱き、
問題提起し、深く掘り下げ内省を怠らず、突きつける課題、与えられた課題に、
正しい学びと効率良い練習を積み重ねていく姿勢を問いただすに連れて、
今まで、気付けなかったこと、見えてなかったものに目覚める。

やがては、
スキルの高まりと多くのノウハウを養い成長していくと確信する。
指導者と受講生の問答、先輩と受講生、受講生同士の問答など・・・
ありとあらゆる場面において、展開される問答法が望ましく思う。

問答法または対話法とは、
広義では質問と討論の形式による思想の叙述なのである。

 

撮影地。
京都紫野 大徳寺塔頭 龍源院


魂を演じる。

歌舞伎役者、落語家、俳優、音楽家を始めとし、
ありとあらゆるジャンルに君臨し活躍している演者、表現者達。
その、すべてのスペシャリスト達は、皆、選ばれし人たちである。

言葉に宿る神秘の力の「言霊」を操り、
身体全体から漲るエナジーと解き放たれる、心の感情開放と、
溢れ出る「魂」が注がれて芸、表現が演じられているのである。

時に、耳にする言葉に、
役者魂、芸人魂、プロ根性とあります。
意味するところはと言うと、単に、表現に感動するのではなく、
その役者、俳優や演者が演じている「魂」に感動しているのだ。

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その表現は、

決して、無機質ではない、有機質な心ある表現と言える。

では、ナレーターはどうでしょうか。
気番組を手掛ける、あるデイレクターが、こんな事を言っていました。
良い声の持ち主や巧く読める人は沢山いる。
だが、その人が醸し出す独特の世界観を持ち合わせていない。

オリジナリティ、魅力に欠けると言うのです。

この言葉から、判断できるように、
声が良くても、単に、読み方が巧くても成立しないビジネスだと言うことです。

いわゆる、心のこもったナレーション。
そのプレーヤー、ナレーターが醸し出す世界観と魂が、
発露されなければ、制作者と視聴者は感動してはくれないのです。

今一度、魂の表現とは何なのか。
心ある表現とは、持ち合わせる世界観とは何なのか。
自身と向き合い、深く掘り下げ観察してみてください。

そして、身を投じる世界は、厳しい「魂のビジネス」界である、
と、言うことも合わせて自身の表現を見直すことが肝要です。

 

撮影地。
京都紫野 大徳寺塔頭 瑞宝院

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