NARRATOR ROAD


フィールド…

2011/10/15

私達が過ごしている日々の生活。
その日々の生活、いわゆるフィールドにモノ創りの原点とも言うべき、
数多くのヒントや答えが潜んでいることにお気づきであろうか。

例えば、
会話の中には、アクセントやイントネーションがあり、
それが、正しいのか、間違っているのかを知るヒントがあります。

続いて、会話となれば発声が大きく関わります。
きちんと正しい発声が出来れていれば、平板にはならず、
アクセントやプロミネンスも考慮されてリズミカルな会話になります。
リズミカルは、つまり、テンポ、緩急と連動し相手を飽きさせません。

続けて、声域、音域の幅にも関係し作用するのです。
「驚いた時」「嬉しい時」「楽しい時」「悲しい時」などは、
感情を顕に出すこととなり、その振れ幅を最大にし言葉を発しています。

が、しかし、
実際の場面、レッスンではどうでしょうか。
感情を表に出すことは、大きな表現となるのですが、
いざ、原稿を手に取り読み上げると、非常に声域や音域は狭くなります。

それは、何故でしょうか。
答えは、日々のフィールドに隠されています。
日頃並びに普段、会話をしている相手は大多数が身近な人や友人、
ほとんどが、同じ人、以外に会話をしてないと言って過言ではないでしょう。
つまり、会話を交わしている相手が近すぎて言葉にも相手にも気を遣わず、
伝わっているのか、どうか、全く、疑わないことも原因の一つと言えます。

同じ人と会話すると言うことは、
距離感が近いので、きちんと明確に、はっきり、しっかり話さなくとも、
理解してくれる、くれていると言う勝手な思い込みが災いしているのです。

ナレーターとして、
生きていきたいと思う人、それでは困ります。
語り手の原点は声であり、発声であり、言葉がすべてなのです。
いつ、いかなる場面においても「初対面的感覚」を念頭に置いての会話、
そして、初対面だからこそ言葉と相手に気遣いの心で語りかけるが肝要です。

言葉は耳に入ると、
すぐに消えてしまう性質であることも忘れないでください。

語り手として、
伝えるには、自らの生きざまをぶつけなくてはなりません。
それに伴わない発音、発声、読み方では感動と共感は得られません。

プレーヤーとして生きる、「日々の環境(感性、美意識)」のフィールドに注視し、
多方面から学び取る精神性を維持する必要性を忘れないでください。

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撮影地

京都市東山 建仁寺


妄想…

2011/10/05

あなたの周りにもいる、
とんでもない勘違いをしてる、こんな人、あんな人・・・

「声が良いと言われるんです」
「声に特徴があると言われるんです」

それで、ナレーターになりたいんです。

勝手な妄想を抱き応募してくるだけなら、いいのですが、
全くの未経験者なので、基本から学ばなければいけませんね、
と、問いかけると、驚いたように、そこまで必要なのですか。
そこまでは望んではいないんですけど、と言って呆れた話をする輩がいる。

ナレーターって、
もっと簡単に誰でもなれるんじゃないんですか、と言う始末。

なんでやねん・・・
と、ツッコミたい思いに駆られる。
いや、ツッコミどころ満載と言いたい心境になる。

世の中には不思議な人がいて、
不思議と思える話も存在します。

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では、声が良い基準とは何か、
良いと言う、判断基準はどこにあるのか。

声の良さを、セールスポイントに応募するのは自由だが、
単に、声が良いからと言う理由で、ナレーターとして所属させたら、
まるで、摩訶不思議ナレーター集団になる勢いであり、まさに驚愕!!
あり得ない、いいや、ありえへん世界なのだ。

ナレーターも芸事の世界です。
決して、甘く見たり判断したりしてはいけません。
皆さんが、勝手に思い描いている妄想、理想だけでは成り立ちません。
不可能を可能にしたいなら、形に嵌った自身の考え方、捉え方から脱皮すると、
同時に、厳しくしく律する心を育てる必要があります。

撮影地
東京都目黒区 浄真寺


あなたは知っていますか。
身体と言葉が密接な関係にあると言うことを・・・

知っているようで、意外に知られていない、
実のところは、全く理解されていないのが実体です。
いや、そこまで思慮深く捉えてる人も、そう多くはないと思われ、
身体の機能として、不思議とも思わず当然であると考えるのが一般的である。

身体 = 楽器 = 奏
言葉 = 情報 = 音

唐突に、こう記述すると何のことやら
意味不明と思い、首を傾ける人もいるかもしれませんが、
簡単に説明すると、声を使って成業していきたいと考える人ほど、
ここに着目しなければならないと、常々、指導している要素の一つです。

「身体を楽器と捉え、言葉と言う情報を音にして奏でる」の意。

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音声表現の原点であり、表現者として必要不可欠なものであり、
この意図する意味内容が理解されなければ、その他、大勢の一派となり、
やがては、消え去る道を歩むことになると言って過言ではない。

原稿の書き言葉を、話し言葉として扱い、、
同時に、息遣い、息継ぎ、間、抑揚、緩急等を
文中、文脈の展開に合わせて表現すると、声の高低も変化します。
音域や声域の幅も広がり、驚くほどに音色は変幻自在に変わり、
例えるならば、色濃くもあり、そして、味わい深くもあり、
それによって、その人となりのナレーションとなり得るのです。

声量不足の人、声域が狭い人、腹圧不足の人など、
これに該当する人ほど、きちんと、身体を鍛える必要があります。

世界的ブランド、ピアノの「スタインウェイ」や、
ヴァイオリン「ストラディバリー」の名器と称される楽器であっても、
綿密に計算された伝統の技と、培われた職人のチューニングなくては、
人の心に宿る感情、感動を呼び起こすことは微力であると言えるでしょう。

声の表現も同じく、原理原則に基づいた、
知識と理論の整合性による身体の鍛え方と日々のメンテンナンスを、
欠かすことなく努力を積み重ねて維持していけば、声は安定します。
そして、日々の生活環境にある練習時間、効率よく時間を活用したいなら、
律した姿勢で向き合い、そして、原稿と対話することも重要なことです。
そのフィールドから、見えてくる知恵の数々があることにも気付くことでしょう。

高みを目指したいなら、
焦りから生じて出る、あれもこれも吸収したいではなく、
大地に根が張り幹が育ち、葉が出て花が咲き実がなりゆく、
そこに自身の姿を重ね合わせて、イメージしてください。

すると、見えてくるでしょう。
何が不足しているかが、一朝一夕では何事も成就しません。
クリエィティブ、モノ作り、表現者と言う未知の領域を目指し、
始動していながら、思いも寄らぬ難解に直面し悩み苦しむ多くの人が、
不可能を可能にするには、己に、忍の一字を刻みこまなくていけません。

もう一つ、重要なことは日常会話です。
体と言葉の密接な関係と言うように、避けては通れない問題です。
この内容に関しては、後日、記述したいと思う。
撮影地
京都紫野 大徳寺塔頭 黄梅院

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