NARRATOR ROAD


飾・極・虐…

2011/11/20

「自分を偽って生きていたら、
ナレーションは作為的表現として、すぐにバレてしまう」

いつも真の自分で、真実の言葉を語っていきたい。

自らの思考と言動を、そう律し犠牲と覚悟、責任感に満ちた、
表現活動を目指す人間に出会えないものかと探し求めている。
が、希薄な現代社会、悲しかな、そう簡単に出会えるものではない。

「飾」…
人は、誰かの心を灯したくて、着飾るのか?
とかく、人は見た目の外見を飾りたがる。
言うところの、いわゆる「カッコ」つけたナレーション表現。
飾らず、カッコつけずとも、心が磨かれれば音声表現、技術は進化する。

「極」…
自己表現を極めたい、語りの職人になりたいと言う人がいる。
そう言う人に限り我が強く、論拠のない自信を抱き過信しているのだ。
何を極めると言うのか、極めると言う意味を完全に理解しているのかと、
疑問を投げかけたくなる、気持ちに駆られたことが何度となくあった。
極めるとは、表現、技ではなく、心、人間力を極めることなのであって、
決して、表面的な一部分を極めても存在価値は成立しない。

「虐」…
読んで字のごとくです。
意味は、まさに、自虐であり、自身を追い込むと言うことです。
草食系と言われる世代は、自分を愛する傾向が強く攻めの姿勢が低い。
まず表現者となりたいならライバルを見つけ、相手を知ることが肝要。
そして、ライバル心を燃やし、徹底的に自身を追い込み相手に重ね合わせ、
次々に、弱点を見つけ出し対比することも、とても、大切な要素です。

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究極のナレーションを求め勉学するなら、
まずは、極限まで自らを追い込み鍛え上げる「心・技・体」と、
続いて、「飾・極・虐」の各三文字を完全に理解し自らと戦う姿勢が、
心を磨き成熟へと導き、人となりが形成され、表現は深みを増します。
どんな表現も結局は自分、未熟であれば未熟なりの表現しかできません。

ナレーターは業界にごまんといる。
その中で唯一無二の存在になるには、自分を深く知り、
やり遂げる自分を信じ、応援してくれる人を待つしかないを持論とする。

競争あってこそ、戦いがあってこそ、人は強くなれる。

ナレーションを学んでいるから、自分を知ることが出来る。
ナレーションを学んでいるから、自己開発、啓発が出来る。

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人の営みも、自然界の営みと同様に移り変わりいくもの、
うつろう季節同様に色濃く深みある自然界に感動する我々、
表面的な部分に惑わされず、真の人間力、人間像を築くを忘れるべからず・・・

撮影地
神奈川県湯河原市 万葉公園

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